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まるっと恋に落ちたから いまさら止められるわけないじゃん

#2007→2017

20代を終えるので振りかえってみようかなっと。

 

2007年→2017年

 

いやぁ10年だって。

奇遇にもじゃんぷくんと同じ10年だって。笑

振り返ると長かったなぁ。

でも昨日のことのようにも感じる訳で。

せっかくだから、ちょっと振り返ってみましょうね。

 

■2007年(20歳)

大学2回生か。まじか。笑

SNSmixi全盛期。まじか。笑

mixi見返したけど、めちゃめちゃ恥ずかしいな。爆笑

暇さえあれば日記書いてるわ。

【嵐 Time in DOME】

Timeの翔さんの挨拶は後にも先にも一番で。

「ドームって!(驚)」って気持ちもあったけど、

あの時は純粋にお祭り的な位置づけだったドーム公演。

ウラアラシのStill…聞いて泣いたなぁ。笑

ここでじゃんぷくんに会ってるわけだけど、残念ながら記憶が無い。

【翔さん バレーボールキャスター就任】

大阪会場、実習と授業の合間を縫って足繁く通ってたな。

ドームに続いて、じゃんぷの記憶無し。笑

じゃんぷ担が歌だけ終わったら

バレー見ずにゾロゾロ帰ってく・・・

は?っていう印象なその頃。酷い。笑

そしてこの後、カウコンと番協の初体験もしてるみたい。

あぁそう言えば、カウコンで聖がピカダブのラップ歌って発狂した記憶。笑

【嵐 初の5大ドームツアー】

にのの「夏じゃない季節に会えるかもしれません」が言霊になり、

もう勢いで五大都市回ったな~笑

福岡とか課題持って行ってたな〜笑

Gimmick gameからのNakedは二宮担・松本担の介抱の記憶しかないし。

あ、名古屋で翔さんの骨折っていうアクシデントもありましたな。

初年度、札幌のチケ余らせたなぁ。涙

【嵐 初の国立競技場公演】

まさかまさかまさかだよね。不慮の事故だよね。笑

でも、誰しもが立てる場所じゃない場所に連れて行ってもらったと思ってるし。

ラブソーって異常気象の発端みたいな曲だから

複雑な印象だったけど、OPであんなに国立が湧ける曲。

初めてラブソー聞いて格好良すぎて鳥肌立ったかも。

好きな公演のひとつだなぁ。

 

■2008年(21歳)

【嵐 アジアツアーin台北

21歳の誕生日はなんと台北で迎えました!笑

背中押してくれた二宮担と松本担のおかげさまさまでしかないけど。涙

お誕生日ツアー、最高だったなあ。

この頃、コンサートに歴代うちわを持って行って広げるのが

身内で流行ってて(今思えば重量半端ないな。笑)。

例にも、台北にも持って行ったわけなんだけど。

完全に着席してからのノリで日本からのツアー客巻き込んで、

(みんなから持ちましょうって言っていただけて)

スタンド1、2列で翔さんの公式うちわ20連番くらい?

ずらっと持ったって言うね。爆笑

OPして外周歩いてくる翔さんの驚き顔と

まさかのリフター正面につき、歌途中で「もういい!わかったわかった!」

ってされたの、後にも先にも最高のファンサだったな。笑

それこそTHE 一体感\(^o^)/←

【就職活動】

台北から帰ってきた足で、長い長い就職活動が始まりました。

好んで受けてる業界が業界なだけに早かったのもあるけど。

リーマンショックの追い討ちもあり、苦戦。

僕が僕のすべて」を聞きながら夜行バスで奮起して涙したね。

初秋から始めて翌年のGWで一旦心折れる。笑

色んな企業受けたなって思う、まじで。

 

■2009年(22歳)

【嵐 10周年 5×10】 

国立に始まり5大ドーム。 

会場こそ大きいけど、もう祭りだったよね!

楽しかった記憶しかないな。

嵐は遠いけど、お友達に沢山会えるが醍醐味だった気がする。

5×10は名曲だねえ。

この頃を境に知り合った現フォロワーさん、結構いる気がする。

【内定・就職】

長い長い就職活動は、地元の小売業からの内定で終止符を打ちました。

時は卒業を年明けに控えた年末にも関わらず、

正直、持ち合わせのない内定なのに蹴ろうかと考えたし。

その時、地元に帰ることも本望ではなかったし。

でもあの時、背中を押してくれた潤担には本当に感謝しかない。

「帰った方がいい。」そう言われた近鉄電車の光景、今でも焼き付いてるよ。

一緒に長い長い就職活動を走ってきた安田担に内定の報告をして、

ラーメン屋で泣かせたのもまた思い出。笑

翌春、地元の老舗雑貨店で社会人として駆け出し始めました。

【母の旅立ち】

2010年4月6日。最愛の母が旅立ちました。

この年の、私の人生の、一番の出来事だと思う。

生きて闘い抜くことを彼女から教わりました。

最期の1ヶ月は辛かったけど、濃密な1ヶ月だった。

年月が経つにつれて、思い出は色濃く。

そして歳を重ねれば重ねるだけ、聞きたいことも沢山あるけども。

貴女のように強く逞しい女性になると誓った日でもあったから。

ずっとずっとだいすきだよ。

そしてあの時支えてくれた全ての人にありがとう。

 

■2010年(23歳)

【嵐 Scene】

この頃はまだ国立とドーム2ステとか、多ステが出来てたんだな。笑

【∞ UPPERS】

横山くんに目覚め始めた頃。

【人事異動】

社会人2年目の春。

突然の人事異動に、会社がFC運営する某アパレルの責任者として移ることとなる。

1年かけて雑貨店に思い入れや責任感も出てきてこれからっていうタイミングで戸惑う。

それもあるけど、自分の人生で

ファッションビル、アパレルで働くことがあるなんて思ってもみなかった。

人生どこで何があるかはわからない。

 

■2011年(24歳)

【昇進】

仕事の方は、晴れて店長に昇格。

自担に似て←、やるからには地位も名誉も頂くくらいには思ってるから。笑

同じ業務を任せられるなら、上れるもんなら昇りたいし、貰えるもんは貰いたい派。

もちろん責任は伴ってくるけども。

成績こそ伸び悩みの時期もあったけど、いい職場環境は作れたと自負してるし。

個人的にも接客販売の楽しさ、トークで売る的なことを習得してきて

総じて、仕事が面白くて仕方なかった頃。

【V6 セクバニ】

突然、私の原点、剛くんにドハマリして。笑

(再燃したのがもう何が原因か思い出せないけど)

潤担(博担)を説得して、まさかの福岡まで飛んでいる件。笑

長年培ってきた好きなものに時間や行動力を惜しまないところは褒めてあげたい。

エイトやら剛くん舞台やら、終いにはKAT-TUNにも行っていたまさにDD期。

【嵐 Beautiful World】

嵐の現場がいよいよ1ツアー1ステ出来ればいい環境に突入。

当たればいつでもどこでも希望な時期。

翔さんのお誕生日お祝いで、嵐のT.A.B.O.O.が見れたのは良き思い出。

自担のお誕生日おめでとう公演て何気に初。

 

■2012年(25歳)

20代も折り返しかと、30歳に向けた密かな目標を立てる。

その中でなし得たことは、この5年でいつ結婚式を挙げても自分の髪で髪を結えるように髪を伸ばす、ってことかな。爆笑

(その当時、異動がアクシデントすぎてショートカットのサイドツーブロックにしていた。笑)

あと、小さい時から憧れだった教員免許をた30歳までに取るってのも目標にしてたんだけど、

今日現在取っておらず。ただ、ある種、今は定時制の教員みたいな仕事に就いてはいるね。

【∞ 8EST】

今思えばこれが直近のサンドーム公演なんだな。まじか。

【嵐 Popcorn

そしてこの頃、引き続きジャニ現場に足を運び。

中でも、剛くん舞台とかVコンとか!あとエビコンとか!

三宅担と現場を共にさせてもらうことが多かった時期でもある。懐かしい!

【人事異動 その2】

25歳の夏。その異動はまた突然にやってきて。

異例の人事異動だったし、例を見ない早さでの本社勤務だったし。

お店も人材育成、成績共にようやく軌道に乗ってきて、

改装も視野に入れていよいよこれからって言うタイミングだっただけに、

後ろ髪引かれるところは沢山あったけど。

早かれ遅かれ、この会社で勤める以上、行きたい部署ではあったから。

進む以外に選択肢は無くて。

ひよっこながらバイヤーとしてら歩き始めることに。

異動するなり、店舗の改装やら展示会やら目の回る忙しさで。

圧倒的におたくの時間も自分の時間もみるみるうちに減っていったこの頃。

 

■2013年(26歳)

【嵐 LOVE】

オタク人生で初めて自他共に全滅を体験。

逆によくよくここまで何とかしてきたなってのが

その当時の嵐の環境で言ったら正しいのかもしれないけど。

でも行けない、行かないなんて選択肢は無くて。

探しに探して、良きご縁に恵まれました。本当に感謝。

LOVEってタイトルだからさ、いま愛とかブレッキーとか期待しちゃったよね!ハハハ!

【ワクワク学校】

4年目?にして初登校。

しかしこの頃、仕事が本当極限に急がさしさを極めて。

なんかもうほんとオタクしてる精神状態じゃないレベルに達していて。

オタク時間が楽しいんじゃなくて、

この楽しい時間が終わったら仕事に行かなきゃいけない

っていう恐怖心と共に現場があった。まじか。笑

 

■2014年(27歳)

【退職】

仕事が自分の時間の大半以上を占めていて。

それが仕事が楽しくて占めているならまだしも、

仕事量と環境に謀殺されてただただ寝に帰るだけの毎日だったなぁ。

てっぺん回るまでの残業が通常で、仕事の後に予定を入れることもなくなり。

休みの日はとことん寝るとか外出する気力も無くなってね。

今じゃ全然考えられないけど。

その時期に、【嵐 THE DIGITALIAN】があった訳だけども。

あんなに生きた心地のしないコンサートは初めてで。

開演して楽しい時間が終わることの恐怖、

それをも超えて今日が終わって明日(出社)が来ることへの恐怖が強くてね。

開演前のメンバーの心拍の演出にすら、自分の心拍がおかしくなる気がしていた。

今もう字面にしてるだけで、なかなか頭がおかしい。笑

そんな中、年明けの【月9 デート】で裕翔くんに出会う。

午前様に帰宅してる日々の中で、たまたま月9がやってる時間に帰宅してさ。

謀殺される日々の中で、1週間を待ち望む唯一の糧でした。涙

だからね、本当に運命なんだと思う。笑

その春、GUTSがリリースされる頃には、GUTSで奮い立たせるように通勤していたけれどもう極限状態で。

新卒で入社してから5年2ヵ月の小売業人生にピリオドを打ちました。

後半はしんどいことの方が圧倒的に多くて、辛かったけど

短い時間の中で濃密で貴重な経験をさせてもらったし。

志半ばでの退職ではあったし、期待に応えられなかった実力の無さと若さが少しだけ悔やまれるけど。

崖っぷちの就活生に内定出してくれて、

若手に会社の予算を投じて挑戦させてくれて、

総じて感謝しかないなと思います。

【転職】

働かざる者追うべからず。

オタクゆえに経済活動を止められない、その精神だけはギリギリあったから。

有給消化中に必然的に転職活動。

色々色々考えたけど、年齢的にも融通効くのはここが一番の年齢だし

せっかく転職するなら土日祝休みの日勤帯の仕事がいいなくらいで。

職種は割と不問だったんだけど。

第3希望くらいで、今の会社を事務職として受けました。

事務としての実務経験もなければ、性質もまるで事務気質じゃないのに。笑

もう給料は下がっても(全然良くないけど)、それより何より

人並みな生活が送れる時間帯希望だった。

書類選考の後に面接に行ったら、いきなり例を見ない社長面接。爆

そこでいきなり思ってもみない「営業やらないか?」の言葉を頂く。

もう二つ返事な如く「え!いいんですか?!」と前のめり。笑

事務職より営業職の方が断然性に合ってる!って思ってたから

もはや棚ぼたな転職活動。

やっぱり人生どこで何があるかはわからない。

晴れて、転職活動おしまい!笑

あ、そう言えば。

有給消化中に足繁く通った【嵐×JUMP ワクワク学校】も一大イベントだな。

【嵐 BLAST in Miyagi】

無事転職活動した暁には、開始2週間でおたくをカミングアウト。

そこからカレンダー通りのお休みを手にしたら無敵。

JUMPのツアーも回りながら。

シルバーウィークの嵐 in Miyagiはまるっと楽しい旅行だったし。

(二度目ましてな相葉担(菊池担)と一緒とは思えない。笑)

この公演もまた、後にも先にもだいすきな公演のひとつとなる。

 

■2015年(28歳)

【JUMP JUMPing CARnival】

28歳の誕生日はJUMPコンで迎えました!笑

まさかJUMPコンで誕生日を迎える日がくるなんてね。

二十歳の頃の私に伝えても嘘だって言うだろうな。笑

【嵐 Japonism】

1年前のTHE DIGITALIANを極限状態で挑んでいるので。

まさか1年後、こんなに晴れやかな気持ちで心からコンサートを楽しめてるなんて

ってところにまず感動しちゃったし。

年々更新される嵐の偉業の格好良さは、

JUMPを知ったから感じられることでもあったんだなと。

【ピンクとグレー】

まさかね、俳優畑に身を置きたいアイドルの担当になる日が来るなんてね。笑

「裕翔くんの初主演の初映画の公開初日は人生で1度だけだよ!」

って言う岡田担(大倉担)の名言は生涯私の中に残り続けると思う。

その言葉に背中押されるまま、開演45分前の衝撃にも関わらず

オタク人生で初めての清水の舞台から飛び降りる思いもしたね。笑

その後、KAT-TUNの10Ks!に出向いたり、野球大会やら、順調に現場。

あ、ちなみに野球大会。私は肯定派です。笑

【Still…の結婚】

なんか20代を振り返って特記する色恋無いのかよって思うけど。

これだけは書いておく。一大事だから。

私の大切な大切なStill…が結婚しました。笑

早かれ遅かれ目に見えてたけど。

ついに年貢納めちゃった/(^o^)\

ここぞとばかりに、サプライズパーティーとサプライズムービーを

張り切って作ったわたしです。

最後にしてあげられる?悪あがき的な。笑

Still…との20年以上の付き合いの、友達以上の感情の一区切りかなと。

アラサーの辱めついでに記しておくなら、

サプライズムービーで作った寄せ書きのスケッチブックの表紙を見て

「俺のためにこんな時間かかるもん作ったなんてどうせお前やろ?暇やな!」

は最高に褒め言葉だと、最後に受け取ってもいいですか?涙

【JUMP DEAR】

いまや安定になりつつある髙木担(松本担)×薮担(櫻井担)との福岡とか、髙木担(錦戸担)との仙台とか、返り咲き内担改め伊野尾担との札幌とか、有岡担(北山担)との横浜とか…だいすきなお友達たちとの連番、全国行脚でとってもとっても大充実なJUMPツアー2年目。

 

■2016年(29歳)

【嵐 Are you Happy?】

久しぶりに心から笑った嵐コンて感じで。

進化はしてるけど、久しぶりに奇を衒ってない肩の力が抜けた

これぞ原点回帰の嵐コンって気がして、本当に楽しかったし。

数年ぶりの自チケってのも格別。

ジャニーズカウントダウンライブ】

そして年明けは久しぶりにカウコンにて。

シゲ担(安田担)との2連番は後にも先にも初めて

だったんじゃないかな。

僕らのごはんは明日で待ってる

1年ぶりにまた映画ごとで行脚出来るのもまた嬉しく。

各地方に足を伸ばしても、お相手してくれるお友達がいることもまた嬉しく。

ほんとにほんとにいろんなご縁でおたくしてますって、感じです。

【JUMP 10周年 I/O】

JUMP 10th Anniversary!

まさかまさかまさか、そこに立ち会っているとは。

本当に人生どこで何があるかはわからない。笑

10年前の私に、「この相葉くんの横で踊ってる中島くんは

10年後めちゃくちゃ高身長のハンサムになってるから、

今から狙っといた方がいいよ!」と言っても

きっと信じないでしょうな。笑

うん、それでいいんだと思う。

 

さぁそんな感じで…20代が間もなく終わります\(^^)/

 

振り返ったら、めいいっぱい遊んで学生卒業して、働いてオタクして働いてオタクしてちょっと恋とか婚活とか焦った時期もあったけどやっぱり働いてオタクして、今日があるって感じで。

 

果たしてそれが良かったのか。

こんなはずじゃなかった感もあるけど、こんなはずだった感もあるから。笑

結局は、あの日に戻るとしても同じ道選ぶだろうってことだと思うし。

今ある全ての必然の偶然に感謝します。

 

もしこの駄文をここまで読んでくれてるアナタが居たとして。

UKIの20代、それなりに色んなことがあったけども、共に歩んで頂いてありがとうございました。

共に30代もまた、歩んで頂けたら幸いです!

 

30代なぁ〜そうだなぁ〜

仮にも40歳迎える時にまたこうして振り返るんだとしたら、

まだその未来を捨てた訳では無いから、

結婚して、妊娠・出産してて欲しいなって思うけど。

まぁ今日現在予定は白紙の未定だからね。爆

そんな出来事も書き込めたら、良しかな。

 

とにかく笑って健康に30代も進んでいけたらと思うので、

皆さまどうぞお手を拝借♡

 

では、人生是一方通行。

 

Thx a Lot…

 

UKI