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まるっと恋に落ちたから いまさら止められるわけないじゃん

# We are Hey!Say!JUMP

2021年4月11日。その日は突然やってきた。約6年3ヶ月追っかけてきたHey!Say!JUMPが9人である最後の日。

 

鳥が産まれて初めて目に映るものを親と認識する刷り込みと同じで、自分が堕ちた時のグループ構成が自分の中の初期設定になっていて。だから私にとって、嵐は5人だし、King&Princeは6人、SnowManは9人で、Hey!Say!JUMPは9人である(もちろんグループの歴史は履修済みとする)。

 

正直、じゃんぷに堕ちた時、既にデビュー当初の完全体ではない9人体制だったから。私自身あんまり人数にこだわりは無かったし、じゃんぷに至っては割と裕翔くんしか追ってない愛で方(私史上初のロックオン型)だし、だからあれは2018年6月なのか、突然圭人が留学するって発表しても、残念だったけどダメージは少なかったように思う。それよりも納得のいっていないやまだの顔の方が鮮明に記憶に残っているかな。「パワーアップしてHey!Say!JUMPに還元出来るための留学」「必ず帰ってきます」「その間互いに切磋琢磨しよう」と言っていたよね。そうして、8人(1人)体制期間が始まった。

 

その間、出したシングル5枚・アルバム3枚・ツアーは3回、2018年はアリーナからの初の4大ドーム~2019年は台北公演からの4大ドーム~2020年 Fab!は年をまたいで生配信で行われ、その1枚1枚1回1回、攻めの姿勢で8人が成長して行くのを実感する日々。その度に精度や完成度が高くて、8人でフォーメーションを組んでいくことに慣れすぎて、個人的には前から8人だったんじゃないかなって思えるくらい自然過ぎた。8人が提示してくるものが、回を追うごとに圧巻だったし、好き過ぎて、一昨年の東京ドーム終わりの打ち上げにて友達と「来年、圭人帰ってくるね。そしたらもうこの2年の楽曲は見れなくなっちゃうのかな。」なんて話もしたね。これは「帰って来ないで欲しい」の意ではなくて。「こっちはこれだけ成長してるんだから、それ相当の成長をして帰ってこないと許さない」の意だった。

 

2015年初春、私が好きになった頃。10周年を控えて目に見えて確実に事務所から推され始めていた頃だった。20代前半の男子が集ってわっちゃわちゃしている姿がめちゃくちゃ可愛かったけど、めちゃくちゃ内弁慶だった。嵐が初めて後輩を交えて行ったワクワク学校、若手乱立の中、大抜擢のじゃんぷは内に内にが凄すぎて圧倒されるままに終わった気がする(それがまた可愛かったんだけど)。実力か事務所のプッシュか、次第に個人仕事も増えていった。ドラマに映画、バラエティー…コンサートのMCでお知らせに使う尺が長くなっていった。余談だけど、裕翔くんで言うと、知念ちゃんの映画といのちゃんの映画と裕翔くんのドラマの番宣が重なった夏。これは個人のポテンシャルなんだけど、上手に宣伝するいのちねに、今ひとつパッと番宣出来ない裕翔くんを私は凄くいじらしいと思ったこともあった。そうして少しずつ少しずつそれぞれが場数を踏んで、2017年は10周年。推された割には大爆発的ヒット!とは正直いかなかったけど、周年を起点にメンバーの意識は確実に変わっていったように思う。いのおくんが、「デビューから6〜7年は山田にグループを引っ張ってもらってきたから自分に仕事が回ってきた今、少しずつ返していきたい」って言っていた。伊野尾革命なんて言われたけど、朝の情報番組もバラエティーMCも気付けば6年近く、建築学科卒を武器にした仕事も増えた。10周年を越えて髙木くんが「いま仕事がめちゃくちゃ楽しい!」って言うようになった。そしたらバラエティーのレギュラーは決まるし、毎年舞台の声がかかるようになった。だいちゃんとひかるは、昼の情報バラエティーのレギュラーを死守して、今や自らのコーナーも持てるようになった。だいちゃんの個々の多方面での活躍も目覚ましいし、ひかの故郷での仕事が増えてきたのもうれしい(こんな状況下だけど無事に聖火ランナーが行われるといいなぁ)。薮ちゃんは時間が掛かったけど無事に大学を卒業して、きっとそれも弾みになって好きなサッカーの仕事やコメンテーターの仕事が舞い込むようになった。知念ちゃんは元々のポテンシャルが絶対高かったけど、さらに器用に精巧にプレゼンターや役者に邁進して、舞台の挑戦も決めた。やまちゃんは、やっと極めたい道を極めるための時間を少しずつ持て始めたかな。日本アカデミー賞新人賞も受賞してね、公開を控えてる映画も沢山あるね。そして裕翔くん、映画にドラマに、画面を飛び出して舞台も経験してね。ひとつひとつ経験値が増していく毎にほんっとうに心身共に頼もしくなりました。

 

そうやって8人は着実に成長した時間を過ごしていて、一方圭人も無事に向こうでちゃんと学校を卒業して、当初の予定より延びていたけど、いつか圭人が「必ず帰ってくる」なら、その時よりグループがパワーアップ出来たらいいねってぼんやり思っていたよね。

 

だからこそ今回の決断は、何だか感情が無になりました。第一報を受けて悲しいとか悔しいとか惜別の気持ちより、そっか……て気持ちが強かったかな。何よりメンバーが圭人が不在のこの2年半、事ある毎に、ここに居場所があるよと言わんばかりに圭人の名前を出していたから。彼らなりに待ってるんだな、いるよって発信してたから。なんかそれが、無になってしまったようで私はきっと悲しかったんだと思う。

 

圭人がJUMPを抜けることが発表されて、9人体制最後の日までたったの数日。じゃんぺやラジオで、それぞれに気持ちを発したのを見て、メンバーは待ってたんだなぁって強く感じた。らじらーでいのちゃんが「約束と違うじゃん、て思った」って、そうだね、「JUMPに還元出来るようパワーアップして帰ってくる」約束だったし、その約束をメンバーが忘れてなかったこと、そしてそれが叶わなくなった事がもっと悔しくなったな。

 

グループの数だけいざと言う時の対処の仕方があって。彼らは最後に9人でステージに立つと言う道を選んだんだけど。もうどんな顔で見たらいいんだよと思ったし(配信だから誰も見てないんだけど)、どんなことになるんだろうって怖さもあったけど、結果、9人でいるところを見届けられたのは良かったのかなって。ほらオタクって情報開示欲みたいなのあるじゃん。色々想定してあれこれ勝手に思うより、そーゆー自担、グループの姿見れて腑に落とそうとしている、腑に落ちたところが大きい。正直8人に見慣れて、人数はどちらでもいいなんて思っていたけど9人揃っているの見たら、なんでこれがおかえりパフォーマンスじゃないのかなって悔しくなったね。「圭人が出たい」って言ったから叶った9人でのパフォーマンス、「圭人がやりたい」って言ったから組んだ円陣、「圭人が歌いたい」って言った楽曲たち、「圭人がひとりで挑戦したい」と言ったから見送ることを選んだ8人。最後の最後まで、たっぷりの優しさと、そして今日までに培った強さを秘めた空間だなぁと思うと涙が止まりませんでした。 

 

そんな8人に見送られて進む道なんだから、圭人には本当にがんばってほしい。

 

ちょっと前まで若い男の子がわちゃわちゃしていて楽しい可愛いだけの集団から、全員がアラサーになって、着実に地に根を張りながらキラッキラのアイドルを職業として選択して進んでいく。私はそんなHey!Say!JUMPがいまめちゃくちゃ眩しくて頼もしくて仕方ありません。個々に力を付けてきたことが、Fab!でさらに加速したような気がしていて。そもそものコンセプト、無観客・有観客…コンサートの在り方、コンサートの魅せ方、近年以上に一辺倒ではない攻めの姿勢が感じられたよね。

 

来月には新曲が発売。配信でも披露していたけど「Try&error」が、Hey!Say!JUMPの現在地のような気がして。声高らかに放つ最後の『We are Hey!Say!JUMP』は痺れるね。

 

そんな今日は8人で歩き出す始めの第一歩!JUMPの進む未来がとても楽しみです!

 

2021.4.12

UKI

 

# 淘汰の先にある未来へ

2021年2月23日。【それSnowManにやらせて下さい】地上波レギュラー放送決定の一報!なんかもううれしくてうれしくてうれしくて!

 

2021年2月26日。Paraviで、地上波レギュラー決定をサプライズ発表された時のメンバーの顔を見て、もっともっとうれしくてうれしくてうれしくて!みんなめちゃくちゃうれし恥ずかしなのがAMEMIYAさんのお歌と相まって余計に涙腺刺激したな〜!

 

そんなめでたい #それスノ地上波レギュラー !!!!!!!!!

 

しかし、地上波レギュラーは日曜13時放送枠。この時間帯は地方住みにとっては鬼門の放送枠でもある。ましてや、こちらの地方局 MRO北陸放送(@mro_voice)では、それスノが放送される枠の前身番組「噂の東京マガジン」の放送は無し。つまりは変わる枠が無く、放送するにはまず枠の確保が必要。現状TBS制作のジャニーズバラエティーで言えば、KAT-TUNの「タメ旅」が約1週間遅れで、ジャニーズWESTの「パパジャニ」が約1ヶ月遅れくらいで放送されているので、どこかで「それスノ」も遅れてもやってくれるっしょ!何なら、今を駆け抜けるSnowManだものリアルタイムなんて改革もあっちゃうかも!くらいにルンルンしていた。

 

けど、念には念を!他力本願じゃだめかなって。SnowMan需要あるんだぞ!って微力ながら伝えたいなと思って #スノ担ハガキ部 に倣って、この3月、要望のお葉書を定期的にお送りしました。

 

日に日に、桜前線より早く、JNN系列各局のSNSで「それスノ放送決定」の知らせが日本列島を駆け抜けて行きました。関東近郊から信越と東日本エリアが先駆け、九州、ついには崩せない牙城と思われていた関西MBS毎日放送が放送決定。追って東海はCBCテレビも放送決定。それスノ前線が日本を染めていく嬉しさが、内心焦りに変わっていきました。それでも祈るようにハガキをしたためる日々。

 

そして各局春の番組改編が始まった、2021年3月29日。お友達がMRO北陸放送にお電話にて問い合わせた結果「放送しないことが決まりました」との返答があったそうです。私が直接受けた報告ではないので、電話口の声色やテンションやもちろんその結論に至った背景と、分かり兼ねる部分は多い。でも、やるのか?やらないのか?白か黒か?で言えば、事情や過程はどうであれ「やらない」に舵を切ったことに変わりはありません。悔しいの一言に尽きます。全国で見ても、一部まだ放送の有無を明らかにしていない局はあるもののそれらも1桁となりました。

 

同郷のオタクたち(知らない人だけど)の落胆のツイートも沢山見かけて。心の中で握手したしハグしたわ。それスノ前線が日本列島を染めていく中で、放送が決まったエリアのファンが放送未決定のエリアの放送局に要望出してくれる姿もあったりして。そうか、それでもか、と虚無感が凄い。

 

でも、逆に。「え、別に公式から何も表明されてなくない?」って気持ちになっちゃって(笑)「多数届いているであろう要望、無かったことにはさせないよ?」的な。もちろんお友達が問い合せた結果に間違いは無いだろうから公式っちゃ、公式の回答だけど。まだSNSや公式HPで表明された訳じゃない(ていうかむしろ、多数届いているであろう要望に公には何のレスポンスもせずしれっとしているのが気に食わない。←)。ひとまず、そうやって個人的な回答により指標が出ちゃって、同郷のオタクが嘆きと悲しみに打ちひしがれて「はい!解散!皆さんお疲れっした!!」「全国の皆さんもお力添えありがとうございました〜涙」みたいな感じになってる……け!ど!いやいやこっからじゃん?!てなっている、いまここです。勝手に燃えています(笑)ここはあくまで通過点。ゴールは、MRO北陸放送でそれスノを放送する日!だと、いまめちゃくちゃ思っています!!!!!

 

全然右も左も分からない私のこの1ヶ月の雑感でしかないのですが、気になってることをメモ。

MRO北陸放送SNSが機能していない。

建前上?Twitterを持ってるけど、ツイートがほぼ新聞のラテ欄のコピペのよう……。もしくは番組公式TwitterのRT(しかもこれもしたりしなかったり)。時折、特定のお天気キャスターを引用RTしたりしてるんだけど、ほぼほぼ情報発信機能が無いのとそこから何かを得ようという姿勢が見えない。とはいえ、現代はSNS社会。SnowManは本人たちがハッシュタグとかトレンド入りとか意識してるのもあるから、そのハッシュタグとかトレンド入りの価値をMRO北陸放送に知らしめていく必要があると思っていて。なので、伝えたいことがある場合は「#MRO北陸放送」を付けた方が良いなと。機能してないのに、見よう見真似なのか、公式が唯一このハッシュタグだけは付けてるのでね。エゴサしてるとは思えないけど、エゴサした時に目に止まるかなと思っています。あと「@mro_voice」でリプライにするのがいちばん良いのかな(声届いてないのに何がvoiceや、と私の中のヤクザが言ってるけども)。リプライなら、ハッシュタグエゴサしなくても、嫌でも相手方へ通知が届くかなと思っています。見ても見なくても響いても響かなくてもとりあえず届け!って言う。目に着くの大事。

■長期戦の場合、電話は望ましくない。

もちろん電話での問合せがダメな訳じゃない。色んな視聴者がいるだろうし電話も鳴るでしょう。ただしもう今回は長期戦が予想されるので、同一内容で同一内容の電話は避けた方がいいんかな?と(ホントに個人的な主観です)。だって自分の会社に頻繁に同じ内容のお願い電話あったらビビるよね!!(笑)あ、カスタマーサポートのコールセンター設けてるなら全然ありだと思うんだけどね!きっとMRO北陸放送には…………無い。

■メールかハガキか、量が目に見える形での要望。

てことで、つまりはメールかハガキか、目に見えて「めっちゃ来た……!驚」みたいなアプローチの方がいいのでは?と考えています。YouTubeとかJ-netやavex公式とかURL貼り付けてのSnowManを知ってください!のプレゼン系はメールがいいかも?でも読んでも読まなくても目に見えてめっちゃ届いた……!が実感されるのはハガキなのかなって思っています。SNSが発展しない環境、どう転んでも旧体制の組織だと思っているので(もうあの社屋の老朽化が物語っているでしょうが…(TT))、めっちゃハガキ届いた……!の方がインパクトあるかなと思っております。

ちなみにハガキの送り先はコチラ《〒920-8560 石川県金沢市本多町3-2-1  北陸放送株式会社》(ちなみにちなみに私は 業務局 編成業務部 御担当者様宛 にしています。社内の部署が不明確だと手元に届かないっていうのも見聞きしたので。)ちなみにメールの送り先はこちら《mro@mro.co.jp》です!

 

思ってることを色々書いたけど、ここからさらに、地方のただの!しがないファンの!戯言でしかないのですが。石川県のファンの方、近郊の北陸のファンの方、どうか是非引き続き声をあげ続けましょう。これは終わりじゃなくて始まりだと思います。全国各地のファンの方、改めてお力添え頂けたら本当に本当に幸いです。

4月改編はもうスタートを切ってしまっていると思うし今からどこまで覆せるか、その次の改編は7月だけど春秋に比べてマイナーチェンジだし、その事前に慌ててもきっと遅い。山陰放送は3月29日に放送決定を発表して4月23日には遅延で放送が始まる、って逆転ホームランのようなこともあるわけだからね。

 

23年、ジャニーズファンやって来て、地方で流れない番組なんて沢山あったと思う。嵐のバニラ気分(石川テレビ)、Cの嵐テレビ金沢)、スクール革命(テレビ金沢)も突然打ち切りになったり2年の時を経て再開してくれたり……。でも何だろうね、この突き動かされる衝動は。私は、自分が石川県の地上波にそれスノが乗るのを見て、地上波レギュラーになったんだなって実感したいんだと思う。あと全国の系列局でそれスノやってくれてるんだよ?!凄いね?!?!って誇りたい気もしています。この時代において、地方で見れない番組を見る方法なんて、合法でもそうでなくてもいくらだってある。それでも自分の住んでる地域の地上波にこんなに想いを乗せている。後にも先にも最初で最後な気がしています。

 

勢いでつらつらと書いたこの文章。いつか「めちゃくちゃ必死だったね」って笑って、話せる日が来ますように。

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石川県はMRO北陸放送でそれスノ放送させるぞ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!

 

2021.3.29

UKI

# まだ見ぬ世界へ

2021年1月1日。新年あけましておめでとうございます。6年ぶり?に過ごすStayHomeの年末年始。何だかんだで家仕事を嗜みながら過ごしています。

 

皆さま、昨年中はどうもありがとうございました。良くも悪くも駆け抜けた2020年でした。こんな1年になるなんて全く想像もしていなかったけど、StayHome!StaySafe!の中で繋がっていてくれたお友達のおかげもあり、おかげさまで流行りのウイルスにもかからず無事に年を越せたことに感謝なのかなとも思っています。スペシャルサンクス!

 

さて。昨日、2020年12月31日をもって、嵐が5人での活動の休止期間に入りました。2019年1月27日に突然の活動休止会見を受けてからの約2年間。2008年頃からかなぁ、年々勢力を拡大してきた彼らもファンも受け止めきれない程の猛烈なエネルギーを5人で、最後の方はもう、首都東京でウイルスの感染リスクとは隣り合わせであろう中、読んで字の如く命懸けで、着地させるための期間だったように思います。翔くんに出会って22年、嵐と駆け抜けて21年。もはや担当とか推しとかを越えて、わたしにとって血液だよね!なんて仲間内で冗談で言っているけど、冗談抜きに結構本気でそう思えるくらい、青春だったし、もはや人生そのものかも知れません。今更21年、22年を振り返ってあれこれ思うのは多すぎてキリがないけど、きっと5人のことをあれこれ綴ることはしばらく出来ないと思うから、ちょっと思うままに連ねておきたいと思います。

 

2020年の下半期。いよいよ12月31日が射程圏内に見え始めた頃、2021年以降も櫻井翔はこれからも進み続けるのに、ふとJrだった翔くんを思い出すことが多かった。ジャニーズJr.90年代黄金期、TOKIO・V6・KinKi兄さんに続けとアイドルの卵がズラっと並ぶ中で、わたしがときめいたのは翔くんだったんだなぁ。よく斗真が言うけど、新進気鋭な翔くんが幼心にドンピシャだったんだと思う。それこそタッキーの周りを囲むオキニというか推されというかその第一陣ではなく、小原くん・MAとつるみながらその集団を俯瞰して見ている…けど、ダンスはしたくて何ならちょっと斜に構えてアイドル像を覆してやるくらいの影の集団に属する翔くんが大好きだったなぁと猛烈に思い出していました。それから間もなくして嵐としてデビュー。翔くんがメンバーに入るなんて思ってもみなかったから、純粋に嬉しびっくりだったなぁ。サプライズ人事だったと思う。この日が今日まで、グループとしても自分の気持ちとしても続くとは。

 

1999年9月15日に嵐を結成して、昨日までの約21年4ヶ月。ほんっとうに楽しかったなあああああああああああああああああ(大声!大の字!)!!!!!!!!!!

 

雨の日も晴れの日も、振り返ればほんっとうにほんっとうに楽しかったなぁ!!!!!グループの過半数が辞めたくてめちゃくちゃやる気ないデビュー当時なんてどう思い出しても笑っちゃうし、デビューご祝儀でもらった単発の冠は単発のまま終わるし、仕事無さすぎてガングロになって怒られるし、CDは売れないしレーベルは追い出されるし。この先どうなるんやと思えば、新レーベルからワンコインでCD出すし全面ラップかと思えば次作はサラリーマン姿だし、真夜中に自転車で日本各地を走り、時には半裸で時には酔っ払いに絡まれながら松茸探したり滝に打たれたりしながら、あ、自レーベルで原宿のど真ん中で主演映画を作ってもらったね。あぁ~~~先の見えない暗い道中も楽しかったね〜〜〜〜〜(涙)!そして2004年、相葉くんのお手紙「TOPになりたいって言う夢、絶対叶えようね」で歯車が回り出したね。少しずつ今の嵐コンのスタイルが確立され、少しずつ自分たちのやりたいことが形になっていったと思う。しやがれの最終回でも言ってたけどさ、5周年に何が欲しいの?って事務所の人に聞かれて「番組が欲しいです!」って言ってさ、ってくだり。Dの嵐でチアガール?コスの相葉ちゃんが泣きながら話すの思い出したよね。そこから一気に、あれよあれよと初のアジアツアーが決まり、凱旋アリーナ公演からの初単独2大ドーム公演、追加公演爆誕1日3回公演のアリーナツアーからの振替ドーム公演、初の5大ドームツアー、SMAP兄さんに次ぐ国立競技場公演。こちら側も息付く暇もなく駆け上がっていったなぁ。常々嵐は「見たことない景色を見せてくれてありがとう」って言うけど、こちらこそ見れない景色を沢山見せてもらったよ!本当にありがとう!!!!!

 

でもそれは本音でありながらも、結果論であって。当時は、肉眼では小さくなる嵐、物理的な距離、取れなくなるチケット、来年こそはアリーナツアーをしてくれると信じてやまず、翔くんの金髪へそピアスに想いを馳せ、足掻きに足掻きました。どう考えても誰しもが見れる景色じゃない、頭では分かりながらもなかなか気持ちが追い付かない時期が続きましたな。今思えばこちら側の若気の至りです。当時、翔くんですら国立競技場に立てることを「不慮の事故だよ」なんて言っていたけど、その事故を実績に変えた、それが嵐なのかも知れません。そんな嵐だから大好きなんだと思います。その事故を実績に出来た背景には、ヨットに乗り込んだ頃には想像も出来なかった程の新しいファン、一般の方……多くの人に嵐が認知され愛されたからこそだと思う。古くからのファンだけの力じゃ到底、日本中に嵐は巻き起こせなかったし、世界を視野に新しい景色を見せてあげられなかったと思う。それこそさ、24時間テレビのメインパーソナリティーを幾度と経験させてもらう中で、ダーツの旅でさ、回を追うごとに日本中の老若男女から「嵐!」って認知されてるの、めちゃくちゃ嬉しかったなぁ。田舎のじいちゃんばあちゃんが、ちびっこが嵐知ってんの涙出たもん。まじでさ、それこそ自分の学生時代の環境って"え?嵐?興味ないっすねぇ"って感じだったし。嵐が好き、ジャニーズが好きって公言出来なかった。ファンが増える、認知が増すということは、いろんな仕事が舞い込むってことだしCDも出せるし露出も増えるってことだなぁって直に体感。その当時は一気にファンが増えていくその勢いに圧倒されて成長痛が激痛だったけど、今となっては21年の道中で合流してくれた、嵐に興味を持ってくれた全ての人にありがとう。もちろんその勢力を拡大していく過程の中で、降りて行くファンも多々見かけたし。そうだな、10周年直後・15周年ハワイ当落あたりが多かった気がするけど。そう思うと、いま繋がっている古参の皆様、寄り道しながらも生き残りましたなぁ。そりゃぁもう我々の聴きたい楽曲は、国語の教科書なら到底現代文ならぬ古事記レベルに相当する訳です(笑)。小雨だ、そよ風だ、って言われた嵐が、こんなにこんなに予報出来ない強大な勢力の嵐になるなんてね。思ってもなくてほんとごめん!十二分に"アイドルがどれほどか見せてやるよ?"を有言実行してくれました!!!!!

 

あぁ、ちょっとのつもりがずいぶん長くなってしまった……けど、もう少し。

 

この21年、諸先輩方にも支えて頂きました。昨日挨拶で翔くんも言っていたけど、私の今日までの全ては、翔くんがV6のホワイトシアターでV6兄さん越しに見たV6ファンによるペンライトの海が起源なので。こちらからも改めて、V6兄さんもV6兄さんのファンの皆さんも本当にありがとうございました!V6兄さんには事あるごとにお世話になったよなぁ。なんてったってデビュー当時の坂本くん、坂ちゃん先輩と健ちゃん先輩はよくコンサートにも足を運んでくれたし、いわずもがなイノッチは往年翔くんに愛を叫んでくれましたし、岡田くんはバンビだし同期だし往年同期抗争芸ありがとうございました!翔くんがJr.時代、そろそろお客さんついたかなって振り返ったら”翔くん”じゃなくて”剛くん”だった話、嬉し恥ずかし大好きだし。ジャニーズがラップする概念をくれたのも剛くんだよ。博もきっと見守ってくれてたよね(エピソードが薄い)。元を辿れば、少年隊兄さんの番組で、リーダーを決めてもらった光景もめちゃくちゃ覚えてる。最後、智くんと翔くんが残ってさ、翔くんが勝ってとんでもないことになったな顔とまんざらでもない顔になったの忘れられないよ。そして負けた智くんがリーダーだよ!って任命されて、更に困惑してた翔くん。(笑) あと、当時5周年の嵐がさ、TOKIOの10周年ライブに感動した帰り道に、俺らもあんな10周年迎えたいってカラオケ行って自分たちの楽曲歌って肩組んでたのとか、時期的に少しだけ雲間から光が差したくらいの頃だったからそうなるといいねぇなろうねぇみたいな気持ちになったよね。時を経て、年末年始のTOKIO×嵐は正月の風物詩でした。Kinki兄さんには、駆け出しの頃、冠番組に呼んでもらったねぇ。LOVELOVEの風になりたい大好きだったし、「ルーズソックス派か、紺のハイソ派か?」の質問で「くるぶしソックス派」って答えてた相葉くん、めちゃくちゃ覚えてるなぁ(笑)。あ、ピカンチでイノッチには原案を、健一くんには当時写真集を、一昨年からの展覧会では文を寄稿して頂いたね。雨の日も晴れの日も導いて見守って頂きありがとうございました!!!!!

一方で、気付けば後輩も沢山出来ました。個々に慕ってくれる後輩も出来ました。ずっとずっと弟分だと思っていたのにね、それだけ月日が経っていて、デビュー歴だけで言えば2020年デビューグループからしたら21年も先輩になる訳で、いやぁおっかなびっくりなんだけど。2015年にワクワクで後輩コラボが始まってから、今までは事務所の中で後輩ポジションだった嵐が、中堅になり今日までに後進の育成にも少なからず力を入れてきた、特に活動休止を決めたこの2年はそう感じるシーンも多かった気がします。潤くんが直に演出に携わっていることもあるけど、直近のアラフェスだと翔くんが「Jrに夢を見て欲しい」とリハーサル中に伝えたということもあり、Jr時代に想う事がきっと多かった翔くんが現時点でJrにそう伝えることの意味を、昨日の休止前最後のステージにも多くのJrに付いてもらった意味とかやっぱり勝手に推測したりしています。またここ数年、20周年だったり活動休止を目前に後輩が各誌でコメントを寄せてくれたり、個々にwebで想いの丈を記してくれていて。それを読む中で、少なからず嵐が歩いてきた道が、後輩の目標や指針になっているんだなぁと言うのが垣間見えてまた嬉しくて。中には嵐きっかけでジャニーズに入りたいって思った、って子もいて。時代の流れを感じたりもするんだけど。21年間の中で嵐がドーム公演、国立競技場公演と、偉業を成し遂げて来たことが(もちろん嵐だけではないけども)、後輩たちの「デビューしたい!」「いつか自分たちもドームでコンサートをやりたい!」「国立競技場に立てるグループになりたい!」になってるんだったら、後継に夢や希望を見てもらえるグループになったんだなぁと、本当に嬉しく思っているところです。こちらも頑張って食らいついて来た甲斐がありました。もちろんそれにはかなり激しい成長痛が生じることも知っているので、読みながら、本気で頑張れよ!!!と思ったりもしていますが、そう言っているのが後継の自軍であればしかと応援したい次第であります。英考ちゃんじゃないけど自軍に対して「テッペンからの景色見せてあげますよ!」の気持ち(笑)、微力だけど(笑)。余談になるけど、中にはそんな後輩の発言を受けて、後輩ファンによるアンチテーゼな声も見えたり見えなかったり(笑)。時には「嵐みたいになって欲しくない」なんて言われた(見かけた)日もあってね(笑)。そーゆーの見ちゃうとなぁ〜全身凶器発動しちゃう悪い癖故に、だったら自軍連れてってみろよ?行きたいつってんだぞ?行けんのか?あん?て気持ちになったりならなかったりなったりもしました(小声)。まぁ私が嵐を翔さんを応援してきたが故に、反骨精神強めなのもあるのかな。何事も巡り巡ってワンチャンはあるかもしれない、でもその奇跡を軌跡に出来るかは本当自軍の体力にかかっていると思うから、そう夢を持っている後輩の夢がひとつでも多く叶いますようにとこれからは願うし、応援したいと思います。

 

はぁーーーー、めーちゃーくーちゃー長くなっちゃったけど。

 

今日からはいち櫻井翔くんのファンでありますが(もちろん休止中も嵐のファンを辞めるなんてことはないんだけど)、ある種、ここが一区切りなのかなとも思っていて。ひとまずは本当に楽しい21年間でした!元日にスポーツ紙各紙取り上げて頂く中で、どこか一紙の「嵐 第一章に幕を下ろす」って言うのが、ちょっと沁みた。そうだね、これは第一章にしか過ぎないよねって思えたかなって言う。そういうの好きじゃん?嵐も翔くんも!また、ね、いつか揃うときには新たな意味合いで"そして幕開け第二章"って声高らかに叫んで欲しい。世の中の状況も整って、嵐が有人のペンライトの海のど真ん中に揃うことがあれば、その一灯になりたいし、全力全身でC&Rしたいなぁと思うし(この際、もうn回と履修したaDayのレスポンスすら泣くんだろうな)、古事記ばりの古参なファンが2006年製のTHE SHOWのタオルぶん回しに行くからさ。人生是一方通行だから。いつかまたね、交点の先で。共にそれぞれ歩き続けた先でまた集えることを祈って─────。

 

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さぁ2021年。どんな1年になるのか。2020年を経て、公私共に今日有るものが1年後も有る、有ったらいいんだけど、必ずなんてもう言えなくて。だから先は見るけど、1日1日楽しんで行きたいなぁと思います。笑って、人にはやさしく、物の言い方を気をつけて、過ごせたらいいな。そして、もうお気付きかと思いますが、激動の2020年、新たにSnowManにずいぶんと支えられました。おかげで2021年を迎えられたところがかなりあって。2020年12月31日を越えた先に、今月3rdシングルの発売があって、春に滝沢歌舞伎ZEROが発表されてて、夏には映画ハニレモ公開と、生きる糧みたいなところがあったから年越せた的な。まだな〜リアル現場行ったこと無いからな〜読めない分からないことも多いけど!行けるとこまで進んでいきたい所存です。2020年の紅白は敢え無く辞退となったけど、どこかでこちらが出れるでしょ〜と期待していた出場内定を越えて、本人たちが出たい!で目指す紅白出場。2021年12月31日はSnowManが紅白初出場して歓喜してたらいいな。する(言霊)!!!!!!!!!今年を駆け抜ける目標がすでにあるっていいね。

あ、もちろん裕翔くん、じゃんぷも生きてるのでご安心を!

 

さぁ次を描こう!今年もよろしく!

 

2021.1.1 UKI

#頂上で合流 夢の道中

2019年1月27日→2020年1月27日

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突然の活動休止発表からまるっと1年が経ちましたね。

 

いやぁ・・・長かったなぁ・・・・・。「あっという間だったなぁ」「1年て早い…」とか言うとこなんだろうけど、長かったなぁと感じています。あの日に戻ってもう一度2019年出来ますよ、と言われてもお腹いっぱいかもしれません。それくらいとてもとても濃い1年を過ごさせてもらったと思います。

 

活動休止会見

連日のWS

2月1日のMステ

5×20 and moreの申込開始、当落

5×20 and more スタート

最後のワクワク学校

参議院選

夏の歌番組(音楽の日初出演!)

東京五輪 NHK公式ナビゲーター決定

24時間テレビ

ラグビーW杯

BRAVE発売

嵐20周年

各種SNS開始

音楽配信開始

来春、北京/新国立競技場公演発表

天皇陛下即位の国民祝典

JET STORM 2019

嵐初の結婚発表

冬の歌番組(相葉くん初FNS司会!)

5×20 SPECIAL SHOOTING

紅白歌合戦

ジャニーズカウントダウン

自担の文春砲(爆)

その他レギュラー番組に、各種誌面の表紙に特集、各社CMと、5人でもソロ活動でも目にしない日は無い濃密な日々。

 

いやぁ駆け抜けました。嵐もファンもお互いに。

 

会見後しばらくは、残り約2年という限られた時間が猛烈に寂しかったり、実感がないのに呆然としたり、なかなか気持ちが追いつかなかったけれど。春に5×20に参戦してからかなぁ、さぁ行くぞぉー!って気持ちになれたところもあったし、何よりそんなことを感じさせないくらい嵐が前を向いて、前しか向いていなくて、次から次へと新しい出来事が起こって、活動休止のことを忘れそうになる日のことの方が多かった気がします。10周年の頃より遥かに”こんな景色まで見られるなんて こんなとこ来てたなんて”を実感しました。せっかくのアニバーサリーイヤーが「今年20周年の嵐」ではなく「活動休止の嵐」と表現されることが癪だったけれど、20周年のお祭りムードの高揚感と活動休止の寂寥感が常に背中合わせの、くどくもなるけど濃密な1年でした。

 

この1年、終始、心の支えだったのは翔くんの「さぁ同じ夢を見よう。Let’s get the party started!!」だったなと、今思う。

 

ここ1、2週間。正直翔くんに対して心ここに有らずな状態だったんだよね。頭と心が追いつかないんですよ、アラサーなのに(笑)。ここ数年、公私共に気持ちが迷子になった時は手紙風に感情を羅列して昇華させるっていう手段を取ることが時折あるんだけど(根暗w)、今回もまさにそれで。本気でファンレターを書いてみたのです。結局送っちゃいないけど。ちょうど1年前、活動休止前の5×20に参戦させてもらって、20年のありがとうを伝えたいなぁって猛烈に思ったんだけども、なにぶん20年分の想いをいざ言葉にしようと思うと、纏まらないし、棒大な巻物級のお手紙になってしまうなぁ…なんて思っていたら急遽会見があり、もういま何を伝えたら良いのか分からなくなってそのままだったんだよね。だから、この20年を文字にしてみた。どうにもこうにも伝えたいことが、便箋にびっしり5枚、まさに「沢山の愛の言葉しかもう本当に何にもないの」だし「ずっとずっと心にあるんだ ありがとう、これからもありがとう」に尽きたんだよね。20年、翔くんに嵐に支えられてきたことの方が断然に多かった。わかっちゃいたけど。

 

この1年、翔くんが発してくれた言葉を噛み締めて、自分の気持ちの落としどころを模索していたんだけれど。翔くんは「同じ夢を見よう」と言ってくれるけど、夢は「共に見よう」としないと同じ夢を見ることは出来なくて、「見よう」としても、見たいなあとかきっとぼんやり待っていても見れなくて、互いに「見る」って強く思ってないと見れないよなぁっていうところに先程行き着きました。

 

余談になるけれど、先週のストスノのデビューを受けて。競り合う両軍を見ていたら、「単独ミリオン!」とか「テッペン見せてあげたい!」とかアイドルとファンの双方の熱量は原動力だよなぁって凄く思ったんだよね。嵐はもう母数が多過ぎて、惰性があるというか甘えようと思えばいくらでも甘えられるというか、数字は自ずと樹立されるし何なら個の打率を上げるためには母数が減ればいいとさえ思う。驕りのその態度を恥じました。共に夢を見る、着いていく、ってそういう熱量のことだよなぁって原点回帰した気がします。と同時にスタートラインに立ったストスノをみて、あぁここから5年、10年、20年…それはとてつもなく長い時間だなぁと思うと、嵐に対して、20年間誰一人欠けずに活動を続けてくれてありがとうの気持ちが増し増しになりました。止まると決めた彼らが、2年もかけて休止してくれるその猶予にさえ感謝だし、少しでも寄り添える2020年にしなければならないと思いました。前後しちゃうけど、SixTONES・Snow  Manデビューおめでとう!初心を思い出させてもらいました!

 

ここまで来たらもう、意地な部分も少なからずあると思う。その意地も含めて、あなたが「嵐を全うする」と決めたのなら「着いて来て欲しいと願ってくれるのであれば、共に走り切りたい所存です。

 

上がる風速に振り落とされないように、筋力トレーニングも頑張っておくね。

 

2020年12月31日まで、あと338日。

まだまだ我ら夢の道中。頂上の方に想いを掲げて。

Let‘s  get  the  party  started again ‼︎

 

共に幸多き、実り多き1年になりますように、いざ。

 

2020.1.27

UKI

#Level.31

Level.31の記録。

 

■10月

リア充、混沌としたままLevel31に突入。

・誕生日当日に嵐20周年当落。見事大破。

・裕翔くんベストジースト2冠おめでとう!

 

■11月

・健ちゃん舞台に合わせてBフレ大阪。ヤリ捨てに決着。誘ってくれてありがとう。

・キンプリちゃん初紅白決定!

パーソナルトレーニング始めました。

 

■12月

・京都、安井金毘羅宮で悪縁を断ち、良縁祈願。

・じゃんぷ大阪。感情迷子。裕翔ソロとか傷心の身にはドンピ過ぎて最高潮に泣く。(爆)そんな時にファンサくれる裕翔くん最高。生きてて良かったと思う。京セラ行くか迷ったけど行って良かった。(ちょろい)

・じゃんぷ名古屋。行きたかった喫茶店に行けたし、コンサートも終始楽しいし大満足。

・じゃんぷ東京。楽しすぎて浮かれて居酒屋の階段から落ちて両脛を強打。

8時だJ復活。そこにすばるの姿はなかったけど、後にも先にも貴重な機会だったなって今余計に感じているよ。

・カウントダウンコンサート。女神さまたちのおかげで、居合わせられたよ。感謝しかないね。滝翼の引退に4TOPS始め、嵐が5人揃って90年代黄金期が一堂に会したカウコン。感無量。

 

■1月

・元旦詣は川崎大師から。本厄なので厄除けも。(今のところ効果がある気がする!さすがジャニーズ御用達!残りも気を抜かず、何卒。)

・元旦から現場始め。裕翔くん今年もよろしく!

・大破した嵐20周年、5×20。お友達に誘って頂いて、居合わせられたよ。お席にも恵まれて、翔くんの優しい顔が忘れられないよ。少し早いけど、20周年おめでとう!

・じゃんぷ福岡。マエノリで翔くんのお誕生日祝っちゃったり。いつめんで食べて呑んで楽しすぎて。初4大ドーム。花横0ズレ最前なのに該当担が一切来なくてただの目の保養席。贅沢の極み。

・何だか凄く特別に感じた翔くんの誕生日。今思えば虫の知らせかな。

・2019年1月27日(日) 17時。嵐活動休止発表。何の確証もないのに、何となくうちは無関係って思っていた。今そこに在ることが永遠なんてないんだと身を持って知る。

 

■2月

・活動休止発表後初のMステ。この1週間、とても混沌としてなかなか泣いたけど、翔さんの、カメラの向こうの貴方へ届けようとする「さぁ同じ夢を見よう Let's get the party started!」に尽きた。あと2年弱。共に嵐を宝箱にしまう気持ちで添い遂げる決心をば。

・自然の中で嗜むモーニングを開拓!

・豪快大ぶりネタの廻らない寿司屋を開拓!

 

■3月

七之助丈の特別舞踊公演を観劇。至福。隅田川千種濡事の四役早替わりは本当圧巻。

・大学の旧友ちゃん金沢旅。ライフステージが変わっても、こうして集えるのしあわせだね。

・裕翔くんの単独初主演初舞台が突然決まる。いざという時の為に、名義もお金も備えが大事。

・初セクゾ!マリウスお誕生日~!ムキになって怒るマリウスかわいかったな~。菊池の人ありがとう。

 

■4月

・髪をバッサリショートボブにする。

・ファンデをMiMCに変えてみる。

・2010年4月6日→2019年4月6日。丸9年を迎えました。ずっとだいすきだよ。

・弟の結婚式。ずっと後ろを付きまとっていた弟が人生の伴侶を得て。この日を迎えるまで色々あったけど、無事に終えることが出来ました。青空と桜が満開の良き大安吉日でした。未来に幸あれ!小姑の話を聞いてくれたお友達、どうもありがとう。

・NEWS福井。タメ旅の2人がマエノリで金沢来てくれたよ!くっだらなくて楽しかったな。

・嵐5×20 and more福岡。活動休止を発表してから初めての生嵐。涙と笑いで感情は迷子だけど、一緒に歩いてきた20年は間違いなかったな、と思える、そんな現場。久しぶりにムビステを間近で感じられる席で。翔くんの優しい顔は忘れないよ。ついてきて良かった。

・平成最後の一人旅。大分は別府温泉。とり天、プリン、団子汁、公衆浴場に地獄谷。大大大大大満足!

 

■5月

・令和元年の幕明け。どんな時代になるんだろう。

・令和の遠征初めは、裕翔くん初主演初舞台「WILD」へ。グローブ座の外観に自担のフライヤーが飾られる日が来るなんて。役者さんとして新たな扉を開いた感じがしました。おめでとう!

・CLOUDYのTシャツをようやく購入しました!

 

■6月

・舞台WILD大阪。なんだかんだで6公演中5公演観劇。一重にお友達さまさま。無事に裕翔くんと共に駆け抜けることが出来た初主演!初舞台!ありがとうございました。役作りで裕翔くんが御髭生やして挑んでくれたことが嬉しかったな。

・ワクワク大阪。今年は二度目のじゃんぷ×嵐。まるっと眼福だったけど、何よりサプールコレクションでセンターを帝王翔さんの立ち位置でその脇をモデル裕翔くんが固める、という布陣が眼福中の眼福だった。

・ワクワク東京。今回を持って「嵐の」ワクワク学校は終了だと公式発表が。そんな気がするエンドロールだったから、心してはいたけども、いざ発表されると、グッとくるよね。自分たちの軌跡を後輩に継承していく姿がまた、らしくもあり刹那的でもあるなと思います。9年間お疲れさまでした!

・欲しかったTEMBEAのPVCトートを手に入れる。

 

■7月

・我らがジャニさん死去。推しGを作ってくれてありがとう!

音楽の日。スノの筋肉太鼓とHiHiの心臓破りの坂パフォに湧く。

 

■8月

・久しぶりのチームおかわり。オリンピア

・キンプリ城ホ。初のおかわり参戦!初のBOX席!岸くん見つけてくれてありがと~!あの友達見つけたみたいな顔、可愛すぎた。

・8.8東京ドーム生配信。Jr.の生配信を張り切って見るようになってるなんて驚きだな。

・チームLABO観賞。不思議過ぎてすっごい楽しかった。(何より嵐コンのやつだ~ってなってる)

蜷川実花×蜷川宏子 二人展鑑賞。ニナミカの色彩感覚、やっぱり大好きだ~!

・三宅の人によるジャニーズJr.及びKAT-TUNコンステマ会。笑

・シゲめめの人と長野旅。女子旅してくれるの本当楽しいししあわせすぎるよ~!

・かつん大阪の若頭ラップバトルに櫻井の兄貴降臨。行ってないけど、兄貴会重要案件なので記録。

・HiHiちゃん、スノの生配信に課金。Garryにしびれる。やべぇやつ出てきたな、と。

・八月納涼歌舞伎 第一部「伽羅先代萩」観劇。七之助丈の政岡初役と久しぶりの勘太郎丈、長三郎丈を観れて良かったな~。

・嵐を旅する展覧会。20年、雨の日も病める日も異常気象の日も共に、歩いてきたなって実感する空間だった。離れないで着いてきて良かった。

 

■9月

・父と新潟旅。親孝行かな。

・とりつかれたように栗といちじくにハマる。

・山田の人の婚約お祝い。一部始終を聞いて、めちゃくちゃおめでとう!!!!!ってこっちまでしあわせな気持ちになる。

・触発されて婚活再開。すーぐ本気になって破断して病む。(もはや鉄板)

・初ドリボ。初帝劇。まるっと肩までどっぷりジャニーズに浸かって頭の上からジャニーズぶっかけられたくらい最高のジャニーズエンターテイメントだった。感動。岸くんがめっちゃ頑張ってて最高だったし、キンプリから帝劇0ズレが2人いるって最強って意味を痛感。そして猪狩が気になる今日この頃。

・アイランドストア。ジャニーズJr.のショップに足を踏み入れてるとは何事。ラウールと猪狩にふあふあしています。なすあべとか、翔さんの取り巻きはまるっと応援してるよ!

 

圧倒的に現場の記録が多いけど。(笑) 充実してた1年だったよね。

さぁ、Level.32の幕明けです!皆様どうぞお手を拝借。いざ。

 

2019.10.11

UKI

#平成の終わりに想うこと

どうも、UKIです。

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平成31年4月30日です。平成時代が終わりますな。振り返るとキリが無いから、オタク視点で平成を振り返ってみたらと、「平成最初の」現場、つまりは人生最初の現場はカミセンのコンサートでした!小学生とかだったねー。V6の素?かViva Viva V6?の後のプレイガイドに必死に電話してチケットを取りました。(笑)2個下の弟と2人で必死に観に行ったな〜(笑)それが平成最初の現場。

 

あれから平成を駆け抜けて、数多の現場に足を運び、気づいたら平成を名乗るグループまでをも追っかけるようになりました。青天の霹靂!(笑)

 

そして、平成31年4月28日。平成最後の現場となったのは 嵐/Anniversary tour 5×20 でした。今思えば、平成の象徴のような、自分の平成最後の現場に相応しかった!とも言えるかもしれません。当初は、活動休止発表後、とにかく早く会いたい!この目で確かめたい!と申し込んだ日程だっただけなんだけども、コンサート中、20年の軌跡を辿ると共に、「平成最後の」なんて枕詞が脳裏を掠めながら、時折感慨深くなりました。

 

今回、お友達様様で(今公演、私は同行者でした〜)アリーナで観ることが出来て、且つ、ムビステを久しぶりに間近で感じられる席で参加させて頂きました!

 

まぁ翔担的には、贅沢な話、アリーナはちょっと寂しくもあるというか。翔くんが上の上の上のっ方〜〜〜〜〜まで煽るので!何度も何度も煽るので !上の方に対して下の方が煽られるのは5回に1回くらいなもんで。とは言え、そんなこともう慣れっこだし、今となっては本当に心からそれは誇りでもあるのですが(めんどくさいね〜ごめんね〜)。そんな、上の上の上のっ方〜〜〜〜〜まで煽る=外周の時は基本スタンドを向いている=アリーナから見ると常に後ろ姿、な翔くんの背中を昨日も幾度と追いかけながら。ふと、「あぁ、私はこの背中に憧れてこの背中を追って今日まで来たんだな、来れたんだな」と思うと妙にグッと来てしまった自分がおりました。 

 

昨今、嵐以外で推しが増えてきた中で。翔くん=担当ではあるんだけど(もうダメだと何度も降りかかったけどいつも死に損なって今に至るよ)、なんかもうそれを超えて、翔くん=自分の血液くらいに思ってるところがあって(字面にすると余計にホラー感と言うかキチガイ感増すのが難点。当方至って本気)。その意は、何かもう「私の全て」なんだよね(だからほら激重発祥)。「たかがアイドル」なんだけれども、生きる指針みたいなところが絶対的にあって。もちろん、そもそもの能力や技量や人望含めて全く追いついてはいないんだけれど、そうありたいと思ってやってきた平成31年間分の21年間くらいになるんだよ、ねぇ。いつも勝手に励まし励まされてやってきたと思ってるし。前を歩く背中はいつだって大きかったし、眩しかった。平成っていう、人格形成の時期且つ多感な時期に翔くんの背中を追っかけて過ごせたことは、本当に良かったな、と思います。

 

傍から見たら、アイドルに人生捧げちゃってるオタクでしかないだろうけど。進む日も止まる日も笑う日も泣く日も…翔くんが嵐が居たから今があるな〜って!私いまめちゃくちゃしあわせよ〜!!!!!って、ライブ中の福岡ドームで平成最後に叫びたくなりました(はい、やべーやつ)。

 

平成の終盤に、まさか活動休止が発表されるなんて思ってもなかったけれど。共に歩んだ平成時代を糧に、翔くんは嵐はさらに躍進していくだろうし、こちらも負けないように進んでいかなきゃな、と思っている改元前夜であります。

 

新しい時代を跨ぐってドキドキするね。

 

to お友達の皆さん

平成は知り合ってくれてありがとう。 沢山笑ったり泣いたり悩んだり騒いで、付き合ってくれてありがとう。令和の時代も共に歳月を重ねて行けたらとっても嬉しいです。だんだん年重ねちゃって自我が今より強くなったらぴしゃりと言ってね。令和もよろしく!

 

あ、プライベートな方は平成にはご縁が無かったので、華麗に平成ジャンプして、令和でご縁を手繰り寄せたいと思います★

 

では、人生是一方通行。

ただ前だけを。

 

平成31年4月30日

UKI


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#Let's get the party started!

どうも。

UKIです。

 

TLでもちらほら見かけたけれど。

突然の活動休止発表から1ヶ月が経ちましたね。

 

いやぁ何だか長かったな。体感としては、やっと1ヶ月だって気がする。でも、2020年12月31日というリミットを思うと着実に時間は進んでいて。もう1ヶ月が進んでしまった、とも思う。時間には抗えないからね、泣いても笑っても進んでいくんだよね。

 

発表のあの日、以降。各局各番組各社各紙に踊る「嵐」「活動休止」の報道に現実を突き付けられ、あまりにも多くの媒体に羅列することに、あぁ名実ともに「国民的」と呼ばれるところまで本当に来たんだな、来ていたんだな、売れたな〜(笑)と妙に実感したり。一方で活動休止をするという実感が無い所も有って。ふと嵐を想えば、共に駆け抜けた時間を想えば、共に仲間たちと駆け抜けた時間が蘇って、何をしていようともぐっと込み上げるものがありました。それほどに、人生を伴走してきた人達だったと思いました。

 

それでも、休止発表以後。明るく突き抜けて、ただ前だけを見て、休止までの限られた時間を駆け抜けようとする5人を目の当たりして、何だろう卒業式の日みたいな心持ちになったよね。すっごい寂しいのに未来は明るい、みたいな。進む未来が本当に明るいかは分からないけど、青空の下の清々しさの中に身を置いてるような。そんな気分です。

 

zeroに始まり、各冠番組でも決意表明があったけれど。中でもMステかな。グッときたね。本当にグッときた。グッどころじゃなくて、めちゃくちゃ泣いたけどさ。「君のうた」ずるいよね、もう歌詞がそうとしか取れないよね。そんなに、にこやかに前を向かれたら……もう。公表したことでリミットに向けて走り出せたんだなぁとも思ったり。あんなに熱を持った「感謝カンゲキ雨嵐」も久しぶり、いや、初めてだったような。発売当初はこーんな誇れる曲になるなんて思ってなかったなぁ(笑)とか、2018-2019カウコンでのジャニーズファンが一同に会する中での尋常ではない一体感に泣きそうになったことを思い出したり。5人がテレビの向こうへ、今を届けようとしてくれているのがひしひしと伝わるのがまた泣けたよね。聞き慣れた「Let's get the party started!」だけど、あれがこのあと2年の指針でもあるなとも、翔担である私は感じました。あと2年弱の全力疾走を、さぁパーティーを始めよう、って表現するなんて粋だよ、翔くん。(涙)

 

そしてEnjoy、オトノハと。ファンへ宛ててくれる、必ず見てくれているあなたへ捧ぐ、熱い言の葉にまた決意と覚悟を感じて、こちらも添い遂げる決意と覚悟を持った次第です。このタイミングで、keepin'on 無我夢中。本当にずるい。

 

活動休止を受けてから、懐かしソングに身を寄せていて。joyfulとかペンの指す方向を聞いていて。そして「スケッチ」。このタイミングでのスケッチ。2019年、翔くんが言う「チーム嵐」。俺ら5人とファンのみんなでチーム嵐。なんだろう、もう、現在の「嵐」が大きすぎて「俺らとみんなで嵐だから」っていうのが、凄く好感度のかたまりみたいに見えることがあるんだよね。沢山報道されて、その大きさとクリーンさを実感すればするほど、思えば遠くまで来たもんだと誇らしく切なくもなったりして。でもさ、改めてスケッチを聴くと、【声高に叫ぶ同志と、聞いてるあなたも含む同志よ】って、売れる前の前夜、嵐の前の静けさの中でもいつだって、ファンを同志だと、チーム嵐だと含んでくれる事に、今も昔も何も変わっていないことにグッときちゃったよね。【「もういいよ」ただ俺らついておいで 流した涙は拭いておいで】【いついつまでも I wanna be w/u】晴れの日も雨の日もいつも一緒にと誓ってくれていたじゃないかと。一方で【さあ巻き起こそうその扉が開いたら 俺らが止まる所じゃないから】【ゆずれない想い誰も邪魔できない 誰よりも俺ら自身が溺愛】いつ何時だって止まってる人達じゃなかったし、そしていつ何時だって自分達のことが大好きな人達だったと気付く。だから自らの意思で自らの道を決め自らの声で伝えてくれたんだと、そう思うとグッときたよね。

 

あぁ、この期に及んで益々、好きだなぁとしかならないから憎くて。歩んできた道は、歩んでいく道は間違いがないんじゃないかと思わせてくれて仕方ない。

 

それぞれのタイミングがあるから、と翔くんは言うけれど、あと2年、こちらも共に特急列車の車窓から望む景色のひとつひとつを共に焼き付けて、嵐を宝箱に閉じ込める作業を担いたい所存です。

 

行けるところまで行くと決めたから、添い遂げたいね。当落前夜なので(私は後半組ではありますが)そう意を決しているところです。

 

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2020年12月31日まであと673日。

 

人生是一方通行。

外野の言葉に目もくれず、ただ前だけを。

 

2019年2月27日

UKI